自分が幸せって思うだけで十分なaoikaraです。
モンブランを食べるだけで幸せ♡
世間の評価とかはどうでもいいです。
幸せなんて自己満足なんですから。
さて、今日はそんな
幸せ
について書きます。
みなさん、幸せですか?
って聞かれたらちょっとハッとしませんか。
幸せって漠然とした感情で「〇〇だから私は幸せです」って論理的に考えるものではないですよね。
世の中には
- 幸せになりたい人
- 不幸になりたい人
- 幸せになりたいのに不幸になる人
がいると思います。
この幸せを取り巻く人達を掘り下げます。
幸せになりたい人とは
言葉の意味そのままです。
自分が求める理想があってそれに近づけば近づくほど幸せな人です。
ただ憧れているだけの人もいれば、幸せになるために努力する人もいる。
基本的にはこういう人が多いのではないでしょうか。
度が過ぎると他人をマウンティング
幸せになりたい人が不幸せなときはそこから逃げようとするでしょう。
しかし、どうしようもないこともあります。
- 恋人がいて幸せだったのに別れてしまった
- バリバリ仕事をこなしていて幸せだったのにリストラされた
なんていうように。
プラスの感情が働けば
- きっと合わない人だったんだ。もっとステキな人に出会えるはず!
- 失敗は成功の元。就活するぞ!
なんて自分の幸せを求めて動けるでしょう。
しかし、人間そう簡単にはいきません。
もっと簡単に幸せを求めようとします。
それがマウンティングです。
誰かを見下すことで自分が優位に立ち、幸せな気分になろうとします。
たとえば先ほどの例で考えてみると…
- まあ、一度も恋愛したこともない奴よりマシだけどね。恋愛経験豊富ってことじゃない?
- 正社員でリストラされた方が、バイトやってるやつよりは立派だろ
というように。
卑屈だし、見下している時点で自分の負けなんですけどね。
もちろん口に出したりはしなくても、心の平穏を保とうとしてこう考えてしまう人もいるでしょう。
どんどん自分が落ちていっても
まだ下はいる
と底なし沼のように不幸に沈んでいってしまいそうです。
まさに他人の不幸は蜜の味、人が不幸だからこそ幸せを感じてしまうようになってしまうかもしれません。
不幸になりたい人とは
“不幸な私”が大好き
世の中には不幸になりたい人もいます。
「えっ、なんで不幸になりたいの?」
と不思議に思う人もいるでしょうが、いわゆる悲劇のヒロイン体質。
不幸な自分が好きなのです。
思春期にそんな気持ちと出会ったことがある人もいるのでは?
世の中に幸せがあふれているのに、不幸せな私がいる。
ということに特別感を抱いてしまうのかもしれません。
「あんたなんか幸せでしょ」と逆マウンティング
とにかく不幸になりたい人は幸せな人と逆です。
「不幸だ」と言っている人に向かって「私に比べれば幸せよ」と逆マウンティングするのです。
発想は幸せな人と変わりません。
方向性が違うだけです。
向いている方向が違うだけで、実は求めていることは同じなのかもしれませんね。
幸せになりたいのに不幸になる人とは
さらに世の中には幸せになりたくて頑張っているのに、なぜか不幸になってしまう、あるいは巻き込まれてしまう人もいます。
客観的に見れば「それは不幸になる」ってわかる
最初は周りも「どうしてこんなに不幸な体質なんだろう」と思います。
しかし、それとなく不幸になってしまう方向に突き進んでいるなと感じるのです。
- 「失敗する」と思い込んで、やっぱり失敗する
- いつでもみんなが嫌がることを進んでやる(結果、メリットの方が少ない)
- お酒を飲んで嫌なことを忘れようとする
といった特徴があるようです。
しかし、その経験を生かして次に生かそうとはならず、ずーっと同じことを繰り返しています。
そしてアドバイスされても「そうだね」「〇〇ちゃんならそうだよね」で終わります。
意外と自我が強い人なのかもしれません。
不幸だからこそ私なんだと歩む道を決めてしまう
こういう人は幸せが舞い込んできても「自分にはもったいない」と避けます。
たとえば、理想の男性に会い、しかも口説いてきたとしましょう。
- 幸せになりたい人は「最高にハッピー!」
- 不幸になりたい人は「騙されているんじゃないか」
- 幸せになりたいけど不幸になる人は「私なんかにはもったいない」
となります。
結果的に「私はダメンズとばかり付き合う」なんて結論になってしまいます。
ステキな人も思いを寄せていたのに。
「どうして幸せになれないのだろう」
とは言ってみても、自分で不幸に進んでいっているようにしか思えません。
むしろ、傷つけることで苦しむことこそ自分だと感じちゃうのかも。
結局みんな自分なりの幸せを求めている
幸せにになりたい人は当然幸せを求めています。
不幸を求めている人は不幸こそ幸せなんですよね。相反しているようで。
幸せになりたいけど不幸になる人も、それが自分に見合う幸せだと信じているんですよね。
だとしたら幸せになりたい人も、不幸になりたい人も、幸せになりたいけど不幸にな
る人も、みんな幸せを求めているということではないでしょうか。
その求め方も人それぞれ
幸せを求めることで苦しむ人もいます。
そんな人を「生きづらそうね」「かわいそうだね」と言ってくる人もいます。
しかし、それはそう言ってくる人の観点でしかありません。
人の幸せなんてそれぞれ違います。
何が言いたいのかっていうと、自分の観点だけで人を推し量るのは止めましょう。
ただし他人や自分自身を蔑んでまで幸せになろうとするのは違います。
というより、それを続けても全然良いけど、やめた方が自身の幸せに近づきやすくなるんじゃないか、と思います。
私も他人をうらやんだり、自分を卑屈に思って、幸せになろうとしたり不幸になろうとしたり考えた時期があります。
でも、自分の心がすり減っていくだけだなと感じました。
それで今私は幸せ、といえばそれはそれでマウンティングな気がしますね。
自分の考え方で苦しんでいるなら、ちょっとだけ変えてみたらどうでしょうという提案だと受け取っていただきたいです。
とはいえ人間は人様に迷惑をかけない程度に好き勝手生きれば良いのです。
幸せを追求しても良いし、しなくても良いのです。
世間に流されず、自分の中に囚われすぎず、生きていけばけっこう楽しいはずです。
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aoikara